近江 黒川氏城


お城のデータ
所在地 滋賀県甲賀市土山町鮎河字野尻
遺 構 曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切、馬出
形 式 丘城 築城者: 黒川玄蕃佐 築城年代: 永禄年間


見 ど こ ろ
 黒川氏城は、鮎河地区の県道9号線と県道507号線のTの字交差点東側正面の山一帯に築かれた城だ。

 交差点から遮二無二ブッシュかき分けても登ることが出来るが、南に県道507号線を約200m程歩くと案内板があり、ここから登ると比較的なだらかな斜面で登りやすい。

 甲賀の豪族の城は、土塁に囲まれた方形単郭の居館規模の城が多いが、この黒川氏城は山頂部の主郭こそ方形であるが、丘陵一帯に曲輪を配し、主郭は土塁を廻らして下部に石垣が築かれ、2ヶ所ある虎口は石垣によって固められている。

 主郭から西側の帯曲輪へは石段が築かれている。この石段を降りると、主郭までの高さは約7〜8mはあろう切岸の高さ、そして南側の堀切が見事。

 城の規模と縄張りの複雑さから、黒川氏が単独で築城したものではなく、黒川氏が織田氏に臣従してから織田氏の甲賀支配の拠点として改修されたと考えた方が素直か?

 訪れた時が小雨降るなかでの探訪となったため、全ての曲輪や城の遺構を堪能できず、不完全燃焼の登城であった。是非、もう一度訪れてみたい城だ。 


歴     史
 黒川氏城は、永禄年間に黒川玄蕃佐が築いた城である。黒川氏は、観音寺城主近江守護六角氏に属し、長享・明応の頃しばしば戦功をたてた。黒川久内は、長享の乱の功により、黒川・黒滝を領有し、以後子孫世襲する。

 黒川玄蕃佐に至り、黒川氏城主として、山女原・笹路・黒川・黒滝・鮎河の松尾川東方を支配し、その子八左衛門に伝える。天正13年、豊臣秀吉に紀伊川堤防修築工事の責任を問われ、築城以来20余年にして廃城となる。(現地案内板参照) 


お城へのアクセス
鉄 道: JR草津線三雲駅〜バス/鮎河口
 車 : 新名神道甲賀土山IC〜国道1号線〜県道507号線
駐車場: なし。(鮎河地区の県道9号線と県道507号線の交差点横に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
丘全体に曲輪が完存している貴重なお城。
  • 山ヒルに注意!

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