お城のデータ | |||||
所在地: | 滋賀県湖南市吉永字城山 | ||||
遺 構: | 曲輪、土塁、石垣、堀切 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 三雲典膳 | 築城年代: | 不明 |
見 ど こ ろ | |||||
遊歩道を登りはじめると、左手に土止めとも思われる石垣が幾段にも築かれ、さらに右手には2段の削平地があり、ここにも小振りな石を積み重ねた石垣がある。ここまでの石垣は後世のものかどうかは判らない。 虎口の遺構と思われる両方に崩れ果てた石垣の遺構を見て、その奥から急な斜面を登る。登り切った所に桝形虎口があり、ここは巨石を使った石垣が歴然と残っている。多少土に埋もれてはいるが、ここが石垣ファンにとって必見のスッポトだ。 桝形虎口の右手に井戸跡が残る曲輪があり、この曲輪東側には土塁が残る。この土塁上から本丸(主郭部)へ無理矢理直登すると、本丸北東角の石垣が迎えてくれる。 本丸西側には、堀切を隔てて曲輪があり、この曲輪西側には低いが土塁が残っていた。この曲輪から西側の尾根伝いに4つの堀切が(2本の堀切まで確認)配置されて防備を固めている。 三雲城は、甲賀郡内一の城の規模を誇るのではないだろうか。全山いたる所に削平地と石垣が築かれ、しかも整備されていて遺構も確認し易い。特に下草の少ない冬季に訪れることをお薦めする。 |
歴 史 | |
この城は、観音寺城の「奥の城」とも云える城で、六角氏は居城が危機を迎えると必ずとこの城に逃げ込んでいる。永禄11年、織田信長によって観音寺城を攻められた時も、六角義賢・義弼父子がこの城に逃れ再起を図った。 三雲成持は、六角氏滅亡後織田信雄・蒲生氏郷に仕え、江戸時代には1,000石の旗本として続いた。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR草津線三雲駅〜徒歩約20分 or タクシー |
車 : | 名神高速栗東IC〜国道1号線/三雲〜町道 |
駐車場: | 青少年自然道場の駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||
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