信濃 荒砥城


お城のデータ
所在地 長野県千曲市上山田字城山
遺 構 曲輪、石垣、模擬櫓、模擬櫓門
形 式 山城 築城者: 山田氏 築城年代: 大永4年


見 ど こ ろ
 荒砥城は、村上氏の本城があった葛尾城とは千曲川対岸の上山田温泉の背後にある城山に築かれている。

 現在は、城山史跡公園として整備され、「戦国時代の山城とはこれだ・・・」と云わんばかりに櫓や城門や石垣などが復元されている。確かに、復元された城跡からの眺望は素晴らしいの一言に尽きる。

 荒砥城は、復元された城がどこまで忠実に再現されたかは分からないが、城山の尾根筋を主郭から観音寺境内まで四段に削平され、主郭背後の尾根筋にも三段の曲輪が設けられてた縄張りとなっていた。


歴     史
 荒砥城は、大永4年に山田氏によって築かれたと伝えられている。山田氏は、村上氏の一族で村上為国の子仲綱が山田の地を分知され山田氏を称した。

 天文20年に戸石城が真田幸隆によって攻略され、天文22年に武田勢が筑摩方面から迫ると村上義清は居城葛尾城を捨て越後の長尾景虎を頼った。義清は、長尾氏の援軍を得て旧領の回復を図るが、旧領回復はかなわなかったが、この葛尾城争奪戦に際して荒砥城もまた村上・武田氏の争奪戦が行われた。

 永禄年間には屋代政国が武田信玄よりこの地を与えられ、荒砥城は屋代氏の持ち城となった。

 天正10年に武田氏が滅亡すると屋代秀正は上杉景勝に属するが、天正11年に徳川家康に寝返り荒砥城に立て籠もるが、上杉勢に攻められ落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: しなの鉄道戸倉駅〜バス/城山入口 or タクシー約10分
 車 : 上信越道坂城IC〜国道18号線〜県道498号線
駐車場: 城山史跡公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
復元された城跡からの眺望は「素晴らしいの一言」に尽きる・・・。

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