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( 城石碑のある公園入口 ) |
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( 主郭西側の土塁 ) |
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( 復元された礎石と井戸跡 ) |
有岡城(伊丹城)は、築城年代は定かでないが伊丹氏によって築かれた。伊丹氏は南北朝時代以来、西摂津に勢力を誇った豪族であった。
戦国時代、天文18年三好長慶が細川晴元に属して伊丹親興の伊丹城を1年に亘り攻めたが落とすことが出来ず和睦している。永禄9年には足利義栄が篠原長房に伊丹城を攻めさせた際、親興は長房に寝返り義栄に臣従した。
永禄11年に織田信長が足利義昭を奉じて上洛する。伊丹親興は三好三人衆らと反目していた関係から信長に従属し、信長より和田惟政・池田勝正と並んで摂津の三守護に任じられた。しかし、足利義昭と織田信長が不和になると伊丹親興も信長と対立するようになる。
天正2年、織田信長は荒木村重に命じて伊丹城を攻め落とし、伊丹氏を滅亡させた。信長は村重を摂津守護に任じ伊丹城を与えられた。村重は、岸の砦・上臈塚砦・鵯塚砦の3つ砦と城下町を囲む総構えの城を完成させ、それまでの伊丹城を「有岡城」と改名した。
天正6年、村重は織田信長に反旗を掲げ、有岡城に籠城する。この時、黒田官兵衛孝高が幽閉された。落城後、池田之助が城主となるが、天正11年美濃に移ると、有岡城は廃城となった。江戸時代の寛文元年、近衛家の領地となって明治に至った。 |