日向 綾 城


お城のデータ
所在地 宮崎県東諸県郡綾町北股錦原
遺 構 曲輪、空堀、土塁、模擬天守、門
形 式 山城 築城者: 綾氏 築城年代: 元弘年間


見 ど こ ろ
 綾城には、模擬天守が建てられている。この天守、入母屋の二層櫓の上に望楼を乗せた様式で、望楼まで登りながら初期の天守様式の内部構造は・・・と興味は尽きない天守だった。

 綾城は、三方が急な斜面となっている丘陵の東端に築かれていている。東と北側には水田(現在では水田と市街地)、南側が渓谷、西側が丘陵と地続きとなった要害の地だ。

 縄張りは、東端に模擬天守の一の曲輪があり、堀切を隔てて二の曲輪、空堀を隔てて三の曲輪となっている。二の曲輪は、空堀に面して土塁が築かれていて、虎口には城門(模擬)が建てられいる。この二の曲輪と三の曲輪との間の空堀、幅も深さもあり見応えがあった。

 模擬天守共々土塁もどこまで復元か現存かは判らないが、普段、雑木と下草に覆われた中世城郭を訪れることが多くて、城郭全体をイメージするのに苦労するが、綾城は「中世から戦国時代の城郭とはこのようなものか」と理解するのにもってこいのお城だと思う。

  


歴     史
 綾城は、元弘年間に綾氏によって築城された。綾氏は、足利尊氏の臣細川義門がこの地を領して綾氏を称した。綾氏は、その後伊東氏に臣従して、綾城は伊東氏48城の一つに数えられた。

 永禄年間、綾城主佐土原遠江守が城主であったが、天正5年に伊東氏の豊後出奔後は島津氏が領有して、島津氏家臣新納久時が城主となった。その後、元和元年、元和の一国一城令により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線南宮崎駅〜バス/麓
 車 : 東九州道宮崎西IC〜国道10号線〜県道358号線
駐車場: 綾城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
初期望楼式の天守があるお城。

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