加賀 大聖寺城


お城のデータ
所在地 石川県加賀市大聖寺町
遺 構 曲輪、土塁、i石垣、堀切、竪堀
形 式 平山城 築城者: 狩野氏 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 大聖寺城は、現在、錦城山公園となっている。江戸時代には、大聖寺前田家が城山山麓に陣屋を構えて、城山は立ち入り禁止としていた。
 
 そのためか、城山一帯配置された本丸・二の丸・三の丸等の曲輪が、比較的に良く残っていて、本丸では土塁も見ることができる。山麓の公園と加賀聖城高校・錦城小学校一帯が前田氏の陣屋跡だ。

 旧大聖寺川に面して建っている数寄屋風の茶室「長流亭」は、小堀遠州の設計といわれ、国の重要文化財に指定されている。これが、唯一残る大聖寺城の建物の遺構でもある。  


歴     史
 大聖寺城は、鎌倉時代に狩野一族によって築かれ、南北朝時代の争乱にもしばしば登場する。戦国時代、越前朝倉宗滴が加賀に攻め込みこの城は朝倉氏北方の要の城として、加賀一向一揆勢と対峙していた。

 天正11年、大聖寺城主拝郷家嘉は柴田勝家と共に滅び、豊臣秀吉は溝口秀勝を大聖寺44,000石の城主とした。

 慶長2年、秀勝は越後新発田へ移り、山口宗永が城主となった。関ヶ原では西軍に与した宗永は、金沢城主前田利長の大軍に攻められ落城し自刃した。

 関ヶ原の戦功により、大聖寺城は前田利長の領する所となり城代が置かれたが、元和の一国一城令により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸本線大聖寺駅〜バス/市民病院
 車 : 北陸道加賀IC〜県道61号線〜国道305号線
駐車場: 錦城山公園の無料駐車場を利用(約20台程度)


ひとくち MEMO
数寄屋風の茶室が残るお城。

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