常陸 札 城


お城のデータ
所在地 茨城県鉾田市札字城の内
遺 構 曲輪、土塁、横堀、堀切
形 式 丘城 築城者: 馬場繁幹 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 松尾神社境内の土塁 )
( 二の曲輪西側の切岸と横堀 )
 札城は、北浦に架かる鹿行大橋東詰に向けて東から延びる台地の西端部に築かれている。

 札城は、台地西端の北から北の曲輪・主郭・二の曲輪・三の曲輪と直線的に並び、主郭は約45m四方の方形で周囲には横堀が囲繞している。この囲繞する横堀は深さもあり、特に北から東にかけては見応えがあった。主郭内は雑木が茂り遺構確認は出来なかったが、城館調査報告に拠ると北東隅辺りに土塁の遺構に残っているようだ。

 現在は松尾神社の境内となっている北の曲輪は、三角形をした狭い曲輪で物見曲輪と考えられているが、境内の石段脇には2条の竪堀と土塁の遺構が残っている。

 三の曲輪は普門寺境内となって、エトク屋敷と呼ばれる二の曲輪との間には、今は切通の道路となっているが深い堀切によって遮断線が構築されていた。


歴     史
( 切通となっている堀切 )
 札城は、築城年代は定かでないが馬場繁幹によって築かれた。常陸大掾氏の一族馬場清幹の次男繁幹が札の地を分知され、繁幹の子幹高より札氏を称した。

 天正19年の佐竹義宣の南方三十三館の仕置きに際して、常陸太田城で鹿島清秀・島崎義幹らは謀殺されたが、札幹繁は難を逃れて小里村に蟄居した。その後、15年後(佐竹義宣の出羽移封後か)札の地に戻ったが、病死して札氏は滅亡した。


お城へのアクセス
鉄 道: 鹿島臨海鉄道大洋駅〜タクシー約10分
 車 : 東関東道鉾田IC〜県道18号線
駐車場: 札公民館の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
北浦に面した台地端に直線的に4つの曲輪が並んだお城。

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