越後 不動山城


お城のデータ
所在地 新潟県糸魚川市大字越字不動山
遺 構 曲輪、土塁、竪堀、井戸
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 不動山城は、早川右岸にある標高449mの独立丘陵不動山の山頂に築かれている。三方は急斜面となり唯一南側斜面が緩やかで、この南側斜面下に城主居館(御殿屋敷)が設けられている。登城道脇には今も御殿の土塁が一部残っていた。

 城の縄張りは山頂部に本丸を置き、一段下に帯曲輪と二の曲輪、更に西側下に三の曲輪、登場道終点の犬倉と呼ばれる曲輪群が配されている。

 見どころは、犬倉から三の曲輪に至る通路を3条の竪堀が横移動を遮断しているが、このうち「一ノ防堀」が特に見応えがある。本丸下の帯曲輪には土塁の遺構がよく残り、二の曲輪に残る竪井戸には今も水を湛えていた。 


歴     史
( 御殿屋敷の土塁 )
 不動山城は、築城者や築城年代は定かでないが戦国時代には山本寺氏の居城となっていた。山本寺氏は、諸説はあるが越後守護上杉朝方の子朝定に始まると云われ、上杉一門として家中で重きをなした。

 山本寺定長は、上杉謙信に仕え、川中島の合戦に戦功をあげ、元亀元年には謙信の養子景虎の守役となっている。その関係から天正6年の御館の乱では景虎方に与したが敗れた。

 御館の乱で景勝方に与した山本寺定長の弟孝長が山本寺氏の家督を継ぎ、不動山城主となった。天正9年、主君景勝の命で越中へ出陣し越中魚津城の城将となるが、柴田勝家の率いる織田勢に敗れ自刃した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR北陸新幹線糸魚川駅〜バス/越
 車 : 北陸道糸魚川IC〜国道8号線〜県道270号線
駐車場: なし(登城道終点に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
西頸城・糸魚川方面で屈指の要害であったお城。

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