岩代 藤田城


お城のデータ
所在地 福島県伊達郡国見町山崎字北古館・南古館
遺 構 曲輪、土塁
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 藤田城は、国見町の観月台文化センターの北側にある小高い丘が源宗山と呼ばれ、現在では住宅地となっているが、その住宅地の中に公園がある、ここが藤田城の本丸だったところだ。

 公園化と住宅化によって城の遺構は見る影もないが、それでも公園西側に土塁跡が残り、西から南側にかけて本丸の切岸が残されている。資料によれば、公園南麓にある水雲神社から観月台文化センターまでが城域であったとか。


歴     史
 藤田城は、築城年代や築城者については定かでないが、文治5年の阿津賀志山の戦いの折、源頼朝の本営が置かれたことから「源宗山」の地名の起こりとなったと云われている。

 南北朝時代は、霊山城の支城として南朝方の拠点であった為、貞和3年に奥州慣例吉良貞家による北朝方の攻撃を受け落城している。

 室町時代以後は、伊達氏家臣藤田氏の居城であった。天文11年の天文の乱では、城主藤田晴親は伊達稙宗方に与して破れ、相馬氏を頼って落ち延び、城は廃城となった。藤田氏はその後晴親の子宗和が伊達政宗に帰参して仕えている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線藤田駅〜バス/県北中前
 車 : 東北道国見IC〜県道46号線〜国道4号線/宮前〜町道
駐車場: なし


ひとくち MEMO
源頼朝による奥州藤原氏攻めの本陣が置かれたお城。

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