播磨 福原城


お城のデータ
所在地 兵庫県佐用郡佐用町大坪字福原
遺 構 曲輪、土塁、石垣、空堀
形 式 平山城 築城者: 佐用範家 築城年代: 建武年間


見 ど こ ろ
 福原城は、背後の山が迫り前面には佐用川が流れるところに築かれていて、現在では水田と畑となっているが、曲輪の姿は良く残っていた。南側の集落から見ると、三の丸・二の丸・本丸と一二三段に曲輪(水田)が連なっている。

 本丸の西・北面には土塁が残り、西の土塁上に福原霊社が祀られていて、社殿の前に「佐用城」の説明板があった。また、本丸西側の道路は、かつての空堀跡だ。本丸北側には、空堀(埋まって随分浅くなっている)を隔てて、こちらにも三段の曲輪が設けられていた。


歴     史
 福原城は、佐用城とも呼ばれ建武年間に赤松氏の一族佐用兵庫介範家が築いて、それまでの居館佐用構から福原城に移った。福原城は、佐用氏の後赤松三十六家の一つ福原隼人の居城となった。

 天正5年、播磨制圧を目指す羽柴秀吉は、黒田孝高・竹中半兵衛らの諸将に福原城を攻めさせ、城は落城。城主福原則尚は、城に火を自ら放ち菩提寺の円福寺にて自刃した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR姫新線佐用駅〜バス/大坪
 車 : 中国道佐用IC〜国道373号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
神社境内から見ると今は一二三段の水田が連なっているお城。

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