近江 後藤館


お城のデータ
所在地 滋賀県東近江市中羽田字後藤堀
遺 構 土塁、堀、石垣(門跡)
形 式 居館 築城者: 後藤氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 後藤氏館は、周囲に基底幅11m、高さ3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造で、土塁は北と東に断続的に残っていて、館内部は田圃(訪れたときは麦畑)であった。館の縄張りは、東辺100m×西辺120mの変形四辺形で、西辺土塁の中央部に石垣を組んだ正門があった。

 案内板の説明文によると、昭和56年の発掘調査で井戸跡、厠(便所)跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内部北部中央付近に存したと推定される。尚、後藤氏の詰めの城、佐生城(別名 佐野山城)が館跡北側に見ることができる。      


歴     史
 後藤氏館の築城年代は定かではないが、観音寺城主近江守護六角氏の重臣後藤氏在地居館として築かれた。後藤氏は、六角高頼の頃から勢力を増し、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢を振るった。

 永禄6年、六角義賢の子義弼に謀殺された。これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて永禄11年に織田信長によって滅ぼされる。尚、後藤賢豊の跡を嗣いだ後藤高治は、六角氏滅亡後蒲生氏に仕えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線近江八幡駅〜バス/羽田西
 車 : 名神高速竜王IC〜国道477号線〜国道8号線〜県道41号線
駐車場: なし。(周辺に駐車スペース約5台程度あり)


ひとくち MEMO
方形の高い土塁と堀が残る居館。

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