播磨 穂積陣屋


お城のデータ
所在地 兵庫県加東市穂積字下屋敷
遺 構 曲輪、土塁、堀跡、移築門
形 式 陣屋 築城者: 本多氏 築城年代: 寛永年間


見 ど こ ろ
 穂積陣屋は、中国道の北側側道沿いにあり、現在は竹藪と畑と民家敷地となっている。陣屋のあった竹藪の西側は下の水田とは結構高低差があり、台地の先端部を利用して築かれていることがわかる。

 竹藪と東側の会社駐車場との間に、堀跡と土塁は良く残っていて、更に北側にも鍵型に土塁があり、共に下草や竹も刈り取られ遺構は確認しやすかった。また、竹藪の中にも土塁の遺構が見られる。陣屋門が了徳寺山門として移築され現存して加東市指定文化財となっている。


歴     史
( 了徳寺 山門 )
 穂積陣屋は、寛永年間姫路城主本多氏によって所領支配のための代官所として築かれ、元禄4年に播磨赤穂の浅野長矩の所領となり、加東・加西郡の所領支配の代官所として使用された。

 元禄14年、浅野長矩が殿中松の廊下で吉良義央に刃傷事件により改易となり、同年加東・加西郡の赤穂藩領の内、4,000石は旗本八木高補の所領となった。

 旗本八木氏は但馬八木城主の末裔で、関ヶ原の合戦後八木光政が召し出され旗本に列した。高補は旗本八木氏の4代目で、11代補職の時に明治を迎えるまで代々穂積に陣屋を構えこの地を領した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR加古川線滝野駅〜バス/北野〜約徒歩20分
 車 : 中国道滝野社IC〜国道175号線〜市道(中国道側道)
駐車場: なし


ひとくち MEMO
赤穂義士吉田忠左衛門が在番していた陣屋。
  • 安積陣屋門の移築先
    了徳寺 兵庫県加東市高岡

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