播磨 河合城


お城のデータ
所在地 兵庫県小野市新部町字構
遺 構 堀跡
形 式 平城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 河合城は、室町時代には東播磨屈指の大城郭であったが、現在は、圃場整備事業により殆ど消滅してしまった。わずかに堀跡が用水路となり傍らに城跡碑が立てられている。そこは主郭西側の堀跡(用水路)脇に当たる。

 城の縄張りは、東西約400m×南北約300mの城域があり、西の曲輪・主郭・東の曲輪と三つの曲輪からなり、「源氏屋敷」と呼ばれれる主郭は、堀と空堀が囲繞した方形の曲輪であったとか。


歴     史
 河合城は、築城年代や築城者は定かでないが、室町時代には播磨守護職であった赤松氏の東播磨の拠点となっていた。嘉吉元年の「嘉吉の乱」では、赤松満祐が将軍足利義教の首を持って入城した。この時の河合城主は赤松氏一族の上月氏であったが、嘉吉の乱後に没落してしまった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR加古川線河合西駅〜徒歩約15分
 車 : 中国道滝野社IC〜国道175号線〜県道351号線〜県道349号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
播磨守護赤松氏が東播磨の拠点としたお城。

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