播磨 滝野城 (光明寺)


お城のデータ
所在地 兵庫県加東市光明寺
遺 構 なし
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 滝野城は、光明寺の別名。麓から見ればなかなか険しい山容で、この寺が山城としてしばしば争乱の舞台となったことが判る。

 山頂下まで舗装道が通じていて、参拝者用の駐車場から急な坂道を上り詰めると光明寺に残る4つの塔頭寺院、そして光明寺本堂がある。この本堂の裏手に、光明寺合戦の本陣が観光協会によって再現されていた。


歴     史
 真言宗五峰山光明寺は、文明年間には25もの塔頭寺院が山頂に建つ並ぶ壮大な寺院で、常設の山城ではないが、城郭化した寺院は地理的にも要衝の地にあり、滝野城とも呼ばれた。

 観応の擾乱の時(観応2年)、光明寺に籠城する足利直義方の石塔頼房を足利尊氏が引尾に、高師直が鳴尾に布陣して合戦となったが、攻め落とすことができなかった。文明17年には、赤松政則が光明寺に入り、山名氏と合戦となり山名方の陰木城を攻め恒屋孝知らを討ち取り、光明寺本堂前にて首実検を行っている。  


お城へのアクセス
鉄 道: JR加古川線滝野駅〜タクシー約20分
 車 : 中国道滝野社IC〜県道17号線〜県道145号線〜市道
駐車場: 光明寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
播磨高野とも云われている古刹もお城として利用されたとは・・・。

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