播磨 長谷高山城


お城のデータ
所在地 兵庫県佐用郡佐用町横坂
遺 構 曲輪、土塁、石垣、空堀
形 式 山城 築城者: 山田則景 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 長谷高山城は、ちょうど佐用IC料金所正面に見える山(高山)に築かれている。城跡は、「高山城ふれあいの里」となっていて、雑木が切り払われ下草も苅られて城の遺構は極めて確認しやすい。

 登城口から遊歩道を約15分程登ると鐘搗堂と呼ばれる見張り台に着く。山頂の主郭部からの眺めは良くないが、ここからの眺めはすごい。眼下に佐用盆地が広がり、足下には中国道が西へと延びている。

 ここから、尾根を更に10分ほど登ると最初の曲輪(削平地)が姿を現す。右手に登城道が本丸へと続き、7段の曲輪が綺麗に残っている。

 本丸北側に3段に分かれた曲輪があり、ここが「千畳敷」と呼ばれているところで、北東に降りたところに空堀があった。千畳敷の南側下の段に一部であるが、土止めと思われる石垣がある。山の尾根を削平した連郭式の縄張りの城であるが、そこそこ規模もあり、なかなか見応えのある山城だ。


歴     史
 建久2年、村上源氏庶流山田則景が鎌倉の源頼朝から佐用荘地頭の下し文を受け播磨守となったが、後隠居して太郎入道と号して高山城を築いてここに住んだ。

 山田則景の末子山田家範は、この高山城で生まれ、後に作用荘南端の赤松に移り住み「赤松」姓を名乗った。播磨最大の勢力を有した赤松氏発祥の地と言われている。尚、高山城城主は則景−将則−光広と3代で絶えた。この城の別称尼ヶ城は、天正5年に尼子勝久が拠ったことから呼ばれた名称である。


お城へのアクセス
鉄 道: JR姫新線佐用駅〜バス/佐用インター
 車 : 中国道佐用IC〜国道373号線〜県道547号線
駐車場: 高山城ふれあいの里の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
播磨守護赤松氏発祥の地にあるお城。
  • 長谷高山城の登城口
    作用インターを降り、国道373号線を作用方面に向かい、中国道高架下をくぐるとすぐ左折して高速道路の側道を東へ約200mほど進み、再度高速の下をくぐると駐車場がある。この駐車場が『高山城ふれあいの里』の駐車場。ここに案内板がある。登城道は駐車場の左手から登る。尚、国道から側道(県道547号線)に入ったところに道しるべがある。

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