紀伊 日置八幡山城


お城のデータ
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町矢田
遺 構 曲輪、土塁、石垣、空堀、堀切
形 式 山城 築城者: 安宅定俊 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 八幡山城は、安宅本城の詰めの城で、本城の北側約1kmの所にある八幡神社の裏山に築かれている。

 八幡山城は、山頂部を中心に三つの曲輪からなる。一の曲輪は、二段に分かれ、周囲に土塁が廻らされている。次郎明神と呼ばれる小さな祠の後にある土塁は、ここに物見櫓が築かれていたのであろうか、高さ・幅とも周囲の土塁とは異なり櫓台を思わせる土塁だ。

 二の曲輪は、一の曲輪の西側にあり、南北に細長い曲輪だ。この曲輪の周囲にも土塁が廻り、一部土に埋もれた石垣が顔を覗かせている。三の曲輪は、二の曲輪から空堀を隔てて南側に配置されていて、ここも周囲を土塁に囲まれた長方形の曲輪で、今はこの曲輪へは土塁の上を歩いて入る。

 八幡山城の魅力は、非常に良く残っている曲輪の遺構もさることながら、岩盤を切り開いた深い空堀と堀切だ。特に、二の曲輪と三の曲輪の間の空堀と二の曲輪北面の堀切は、「すごい!」の一言につきる。


歴     史
 八幡山城は、室町時代に安宅次郎大夫定俊によって築かれたと云われているが、はっきりとしたことは伝わっていない。「安宅一乱記」によれば、安宅氏12代当主安宅実俊の実弟安宅定俊が、八幡山城主として居城した。

 享禄3年に安宅実俊の死後、実俊の子安定丸と安宅定俊との跡目争いが起こり、一族が敵味方に別れ戦った。その結果、安宅定俊が勝利するが、この内乱により安宅氏の勢力は急速に衰えた。  


お城へのアクセス
鉄 道: JR紀勢本線線紀伊日置駅〜徒歩10分(登城口)
 車 : 紀勢道日置川IC〜県道37号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
竪堀を直登して登るとそこには曲輪が完存するお城が・・・。

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