陸奥 弘前城


お城のデータ
所在地 青森県弘前市下白銀町 弘前公園
遺 構 現存天守、櫓、門、石垣、曲輪、堀
形 式 平山城 築城者: 津軽為信・信牧 築城年代: 慶長年間


見 ど こ ろ
 弘前城は、二度訪れているが、どういう訳か天守の写真撮影にいずれも失敗している・・・残念。石垣の補修工事が終わり、天守が元の位置に戻されたらもう一度訪れてみたい。

 現存天守以外に、二の丸に三層の辰巳・丑寅・未申櫓が現存している。また、城門(櫓門)は、三の丸に追門手(大手門)・東門、二の丸に南門・東門、北の曲輪に亀甲門と5棟が現存している。

 弘前城は、本丸以外石垣を用いず他の曲輪はすべて土塁で固められている。現在の弘前公園は、弘前城のすべての曲輪が往時のまま残っており、その規模は、とても5万石弱の小藩の城とはとても思われない。 


歴     史
 戦国時代、南部領であった津軽の地も、群小の土豪による群雄割拠の様相であった。この津軽地方を統一したのが大浦為信である。為信は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、津軽一円の本領安堵を得て姓も津軽と改称する。

 慶長8年、津軽為信は弘前城の築城に着手するが、翌9年京都で客死して築城は中断してしまう。

 慶長14年、2代津軽信牧は築城工事を再開し、47,000石の身代にとても不相応とも云えるよるな五層天守をはじめとする大城郭を完成させた。この五層天守は、寛永4年に落雷により焼失した。その後、文化7年に本丸隅櫓を改造して天守とした。

 津軽氏は、12代に渡って津軽地方を領して明治に至ったが、津軽氏の禄高は、文化5年に表高10万石となるが、実高は開墾の成果により30万石以上の身代であった。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR奥羽本線弘前駅〜バス/市役所前公園入口
 車 : 東北道大鰐弘前IC〜国道7号線
駐車場: 追手門前の有料駐車場を利用


ひとくち MEMO
東北唯一の現存天守が残るお城。

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