肥後 人吉原城



お城のデータ
所在地 熊本県人吉市上原町
遺 構 曲輪、堀切
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 瑞 祥 寺 )
 人吉原城(中世人吉城)は、近世人吉城の背後に位置する丘陵に築かれていて、人吉城御館南側の堀前から坂を登った丘陵一帯が城跡。

 人吉原城は、シラス台地である城山に上原城・中原城・下原城・外廻り・西の丸・内城と6つの曲輪から成る群郭式縄張りの城となっている。上原城(全くの未整備状態)が主郭であったと考えられ、切通となっている堀切を隔てて北側に中原城(配水場)があり、下原城はその東側に住宅地と瑞祥寺境内となっていた。


歴     史
( 切通となった堀切跡 )
 人吉原城は、築城年代や築城者について定かではないが、元久2年に相良長頼が遠江相良荘より下向して、平頼盛の代官矢瀬主馬祐を滅ぼした。矢野氏の居城が人吉城(原城)と云われてる。

 戦国時代に相良氏の居城であった人吉城はこの人吉原城で、12代相良為続が文明2年に在城していたことが文書に確認されている。その後、天正年間に19代義陽は北上する島津氏に備えるため、球磨川沿いの「内城」と称されていた城域に近世人吉城を築いた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR肥薩線人吉駅〜バス/新町
 車 : 九州道人吉IC〜県道54号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
近世人吉城の背後に築かれていた中世の人吉城。

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