加賀 本多家上屋敷


お城のデータ
所在地 石川県金沢市本多町3丁目
遺 構 曲輪、石垣
形 式 居館 築城者: 本多政重 築城年代: 慶長16年頃


見 ど こ ろ
 金沢城の「外構え」でもあった本多家上屋敷は、現在の成巽閣の一段下にある県立美術館から県立歴史博物館までの敷地一帯約1万坪の広さがあったとか。上屋敷の遺構は殆ど残っていないが、美術館の裏手に上屋敷の門跡と石積み基礎の塀跡・石垣が残っている。

 加賀本多家は、陪臣ながらも中級大名並みの5万石を領し、500人以上の家臣団を抱えていた。小立野台地上の上屋敷が「本多家の城」であり、西側の台地崖下には本多家の中屋敷・下屋敷や家臣団の屋敷が建てられ、まるで金沢城下にもう一つの城下町があるかのようだ。


歴     史
 加賀八家筆頭本多家の上屋敷は、慶長16年頃に本多政重によって築かれた。本多政重は、徳川家康の重臣本多正信の次男。慶長2年に政重は徳川家を離れ主家を離れ、大谷・宇喜多・福島・前田家と渡り奉公していたが、慶長9年に上杉家重臣直江兼続の婿養子となり直江勝吉と称した。

 慶長16年に前田家に帰参し本多安房守政重と名乗り、前田利常より3万石を与えられ、慶長18年に2万石を加増され5万石を領した。加賀本多家は、政重以後も人持組頭八家筆頭として家老職を代々務めて11代政均の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: 北陸新幹線・北陸本線金沢駅〜バス/成巽閣前
 車 : 北陸道金沢西IC〜県道25号線〜国道157号線
駐車場: 金沢城周辺の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
5万石を領した前田家筆頭家老本多家の上屋敷。

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