伊賀 轟 城


お城のデータ
所在地 三重県伊賀市鳳凰寺
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 轟城は、山田郡の本村鳳凰寺地区にある薬師寺背後の丘陵に築かれている。轟城を中心に西に轟西城、東に久保氏城、高砂川を隔てて南側の丘陵先端に前山城、更に南側の丘陵先端部に岡島氏城があり、中村地区の北坂城・井上氏城と合わせて7城で連携した防御態勢と敷いている。

 城の縄張りは、薬師寺裏から登った所に土塁を伴う虎口があり、そこから主郭と二の曲輪の間にある空堀底道を通って主郭へと入る。 さらに北側には西城との間に土塁と空堀が施された、結構複雑な縄張りとなっていた。


歴     史
 轟城は、築城者は定かでないが室町時代に築かれた。轟城のある鳳凰寺地区は伊賀国山田郡の中心地で、白鳳時代の鳳凰寺があった所。

 三国地誌では、天智天皇の子大友皇子の母、伊賀采女の出身地とされ、この城を「大友王城」とするが、城は明らかに室町時代のもの。


お城へのアクセス
鉄 道: 伊賀鉄道上野市駅〜バス/持中
 車 : 名阪国道中瀬IC〜国道163号線
駐車場: なし(薬師寺前の公園内に駐車可能)


ひとくち MEMO
山田郡の本村を押さえた土豪の居城。

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