越後 五十公野城


お城のデータ
所在地 新潟県新発田市五十公野
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 丘城 築城者: 五十公野氏 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 五十公野城は、五十公野丘陵の支尾根御殿山に築かれている。二の丸部分は中学校建設で消滅しているが、この小さくさほどの要害の地でないこの城が、上杉景勝の大軍に囲まれながら奮戦したことにちょっと驚かされる。

 城の縄張りは、東からの尾根筋を堀切で断ち切り城域とし、低い土塁で二分した主郭を御殿山山頂部に置き、北側に二段、南側に三段の帯曲輪を配している。公園化され比較的遺構は確認し易すくかった。


歴     史
 五十公野城は、戦国時代に五十公野氏によって築かれた。五十公野氏は新発田城主新発田氏の一族で、天正8年に五十公野治長が兄新発田長敦の死去に伴い新発田氏の家督を相続し、新発田重家となった。五十公野氏は、重家の妹婿長沢義風が継ぎ、五十公野信宗となった。

 天正9年、重家が主君上杉景勝に叛旗を翻すと、信宗もこれに従った。天正15年、上杉景勝に城を囲まれ落城し信宗も自刃した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線新発田駅〜バス/東中学前
 車 : 日本海東北道聖籠新発田IC〜国道7号線〜県道14号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
新発田重家の乱の舞台ともなったお城。

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