お城のデータ | |||||
所在地: | 岡山県津山市吉見 | ||||
遺 構: | 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀 | ||||
形 式: | 山城 | 築城者: | 不明 | 築城年代: | 不明 |
見 ど こ ろ | |||
山頂の曲輪群は、綺麗に下草も刈られ、遺構が非常に確認し易い。保存会の方々のご努力に感謝。山頂から見る眺めが絶景、加茂川の流れ、そして川に沿って通る街道、その先には津山盆地の田園が広がる。この眺めを見れば、ここに城を築いた理由も、そしてこの城が争奪戦の的となったことも良くわかる。 城の縄張りは、北の尾根を4本の堀切で断ち切り、北からの備えとし、本丸北の虎口には石垣と土塁が連なった構えとなっている。本丸から南の三の丸まで二の丸の細長い曲輪が3段連なっている。三の丸東側には石垣の遺構が見られ、更に三の丸先端部には堀切と竪堀の遺構が見ることが出来た。 |
歴 史 | |||
戦国時代になると、医王山城は争奪戦の的となり、天文元年に三次安芸守が、天文13年に尼子国久がこの城を攻めて落城させた。永禄9年、尼子義久を滅ぼした毛利氏は、天正年間に美作にも進攻して医王山城は、毛利方の城となった。 天正8年、宇喜多直家は医王山城を攻めたが、城将湯原春綱・小川元政・塩谷元真は良く防ぎ、宇喜多勢を撃退した。天正10年、毛利氏と羽柴秀吉との和議により、美作は宇喜多領となり医王山城も宇喜多氏に開城した。 |
お城へのアクセス | |
鉄 道: | JR因美線美作滝尾駅〜徒歩約15分(登城口) |
車 : | 中国道津山IC〜国道53号線〜県道6号線 |
駐車場: | 登城口前の岩尾寺の参詣者用駐車場を利用。 |
ひとくち MEMO | ||||||
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