美作 医王山城


お城のデータ
所在地 岡山県津山市吉見
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 医王山城の麓、岩尾寺の裏手に登城口があり、山腹の観音堂まで約10分登る。この観音堂の建つ所も医王山城の曲輪の一つだ。山頂へここから険しいが良く整備された山道を約20分程登る。登り切った所が最高所の本丸だ。

 山頂の曲輪群は、綺麗に下草も刈られ、遺構が非常に確認し易い。保存会の方々のご努力に感謝。山頂から見る眺めが絶景、加茂川の流れ、そして川に沿って通る街道、その先には津山盆地の田園が広がる。この眺めを見れば、ここに城を築いた理由も、そしてこの城が争奪戦の的となったことも良くわかる。

 城の縄張りは、北の尾根を4本の堀切で断ち切り、北からの備えとし、本丸北の虎口には石垣と土塁が連なった構えとなっている。本丸から南の三の丸まで二の丸の細長い曲輪が3段連なっている。三の丸東側には石垣の遺構が見られ、更に三の丸先端部には堀切と竪堀の遺構が見ることが出来た。


歴     史
 医王山城は、築城年代は定かではないが、南北朝時代以前に築かれたと云われている。

 戦国時代になると、医王山城は争奪戦の的となり、天文元年に三次安芸守が、天文13年に尼子国久がこの城を攻めて落城させた。永禄9年、尼子義久を滅ぼした毛利氏は、天正年間に美作にも進攻して医王山城は、毛利方の城となった。

 天正8年、宇喜多直家は医王山城を攻めたが、城将湯原春綱・小川元政・塩谷元真は良く防ぎ、宇喜多勢を撃退した。天正10年、毛利氏と羽柴秀吉との和議により、美作は宇喜多領となり医王山城も宇喜多氏に開城した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR因美線美作滝尾駅〜徒歩約15分(登城口)
 車 : 中国道津山IC〜国道53号線〜県道6号線
駐車場: 登城口前の岩尾寺の参詣者用駐車場を利用。


ひとくち MEMO
津山盆地を一望できる抜群の眺望、お奨めの山城。
  • 医王山城の登城口
    JR美作滝尾駅から旧道を右手に約500mほど進むと左手に駐在所がある。駐在所から約200m程先の交差点を左手に曲がり、加茂川を渡る。(この橋尾上から見た医王山城の遠景が上の写真)橋から約200m程で小さな交差点があり、ここを左折する。(医王山城、岩尾寺への道しるべあり)ここから道なりに約400mほどで道の終点に岩尾寺があり、寺の駐車場の奥に医王山城の登城口がある。

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