磐城 坂元城


お城のデータ
所在地 宮城県亘理郡山元町坂元字館下
遺 構 曲輪、堀、現存門
形 式 平山城 築城者: 坂元三河 築城年代: 元亀3年


見 ど こ ろ
 坂元城は、元和の一国一城令で破却されず坂元要害として明治まで存続した。坂元城は、現在の坂元神社・坂元小学校となっている丘陵に築かれていた。

 本丸が坂元神社境内で、ここを中心にして北に一段下がって二の丸(現坂元小学校)・三の丸(現住宅地)と曲輪が配置され、かつてはこの曲輪群を取り囲みように堀が廻らされていたとか。

 城の遺構は、本丸西側の空堀跡や切岸の遺構、更に二の丸内堀の一部、さらに三の丸大手口には、現在民家の門となっている大手門が本来の位置に現存している。


歴     史
 坂元城が、元亀3年に亘理重宗の家臣坂元三河によって築かれた。三河は、天正17年に伊達政宗が相馬領駒ヶ嶺城を攻めに従軍して討ち死にしている。坂元氏は天正19年に主家亘理氏が涌谷城へ移るとこれに従った。

 坂元城へはその後、後藤信康・黒木守元・津田景康が城主となった。元和2年、大條宗綱が2,000石の領主として入封、以後大條氏が代々伊達領南端の要害を守備して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線坂元駅〜バス/坂元小学校前
 車 : 仙台東部道亘理IC〜国道6号線〜県道44号線
駐車場: 坂元神社の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
今も本来の位置に大手門が残っているお城。

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