伊勢 鹿伏兎城


お城のデータ
所在地 三重県亀山市加太市場
遺 構 曲輪、土塁、石垣、井戸
形 式 山城 築城者: 鹿伏兎盛宗 築城年代: 貞治5年


見 ど こ ろ
( 虎口前北側の土塁 )
( 主郭北側の虎口と土塁 )
 鹿伏兎城は、JR加太駅の背後の山に築かれている。線路を渡った所に神福寺があり、山門前に石碑と縄張図付の案内板がある。寺の境内西側にある墓地裏から急な山道を約20分ほど登ると山頂に着く。

 鹿伏兎城は山頂部に主郭を置き、東側の尾根筋に二段の曲輪が配置され、主郭南側にある細尾根にも三段の小曲輪を並べた縄張りとなっている。

 土塁と細尾根とに囲まれた主郭は、北側と東側に虎口が開かれている。登城道から城内へと入るルートの北側は枡形虎口となっていて、虎口手前の登城道沿いには川原石を用いた石垣と共にこの城の見どころとなっている。また、三の曲輪には雨水を溜めた井戸の遺構が残っている。

 加太駅から国道25号線を西へ市場地区の外れ(大和街道松並木加太宿の標柱辺り)の道路改修に伴う発掘調査で大溝と掘立建物跡が出土し、この水田・道路・民家敷地となっている一帯が加太氏館跡と考えられている。


歴     史
( 三の曲輪にある井戸跡 )
 鹿伏兎城は、貞治6年に亀山城主関盛政の四男盛宗が鹿伏兎谷を分地され鹿伏兎氏を称した。盛宗の子定俊が、牛谷山の築城して牛谷城と称した。鹿伏兎氏は、盛宗以後十代に渡って鹿伏兎谷を支配した。

 鹿伏兎氏は、関宗家と行動を共にし、応仁の乱では宗家と細川方の東軍に与してる。永禄11年、織田信長の伊勢侵攻の結果、一族の神戸友盛が信長の三男信孝を養子に迎えて和睦した結果、関一族は信長の傘下に入ることとなった。

 天正11年、本能寺の変後、織田信雄・羽柴秀吉と神戸信孝・柴田勝家・滝川一益とが対立すると城主鹿伏兎定義は神戸信孝方に与したため、織田信雄によって攻められ落城した。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線加太駅〜徒歩すぐ(登城口)
 車 : 名阪国道向井IC〜国道25号線(旧道)
駐車場: 加太駅前の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
荒れた山頂の城跡、よく残っている石垣が妙に感動的だった。

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