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( 南東角石塁 ) |
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( 二の木戸の石垣 ) |
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( 一の木戸の石垣 ) |
対馬中央部に西の朝鮮海峡に向けて湾口を開いた浅茅湾は、複雑なリヤス式海岸の浦々は古代から大陸に渡る船の重要な風待ちの泊地であり、古代対馬の中枢の地であった。この浅茅湾南岸に一際高い城山に金田城が築かれたのも頷ける。
金田城の築かれた城山は、全山岩山で山頂部から西側は断崖絶壁で北側も峡剣となった天然の要害だ。金田城は城山の比較的なだらかな東斜面の3つの谷を取り囲むように山腹に石塁と城壁が築かれ、谷間に城門と水門を設ける朝鮮式の山城だ。
明治の造られた城山砲台への軍用路が現在の金田城の登城路となっている。城山東山腹に沿ってを南門〜南東角石塁〜三の木戸〜二の木戸〜一の木戸と高々と積まれた石塁に魅了されながら見て歩く。どの木戸の石塁も見応えがある遺構だが、特に南東角の石塁が圧巻。
また、三の木戸と二の木戸との間にはピングシ山鞍部には弧状の土塁(と門跡が発掘調査により出土し、付近一帯から柵列と掘立建物跡も出土しておりこの辺りが金田城の中枢であったとか。
北側から城山山頂を目指す。西側に断崖にも所々積まれた石積みの遺構を見ながら登る。結構きつい登りだが登り切った山頂から眼下の浅茅湾、そして遠く韓国まで眺望に疲れも吹き飛んでしまう。更に、山頂に構築された日露戦争時に陸軍が城山砲台のレンガ造りの遺構も見どころの一つだ。 |