遠江 勝間田城


お城のデータ
所在地 静岡県牧之原市勝田
遺 構 曲郭、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 勝間田氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 勝間田城は、典型的な中世山城と武田氏による戦国時代の山城、二通りの城の遺構が良く残っている城だ。

 勝間田城の石碑が建つ最高所に一の曲輪(周囲に土塁が残る)、一段低く二の曲輪があり、これに続いて櫓台を有する曲輪が東側にある。また、南側の尾根にある曲輪との間には大堀切がある。ここまでが中世の城。

 駐車場から出丸を経て二の丸へ。ここが武田氏による戦国時代の遺構だ。二の丸は、土塁によって周囲が囲まれていて、この城で一番広い 建物の跡などが、発掘調査の結果を踏まえて表示されていた。また、山頂の一の曲輪から連なる曲輪との間には空堀がある。

 西の丸は、二の丸西側にあり、ここには倉庫か番屋のような建物が建っていたとか。三の丸は、ここも周囲に土塁が残り、二の丸と同等の広さがある。いずれにせよ中世城郭と戦国時代の城郭を一つの城で堪能できて、ちょっと得した気分になった。


歴     史
 鎌倉時代初期からこの地を領した勝間田氏が南北朝時代に築城したとされているが、詳細はわからない。

 文明8年、遠江へ侵攻した今川義忠に対して、遠江守護斯波義廉に与した勝間田修理亮は、横地氏と連合して今川義忠と戦う。この戦いによって、勝間田城・横地城は落城、修理亮も討ち死にした。

 戦国時代に入ると、勝間田城は遠江に侵攻した武田氏の持ち城となった。この時、武田氏によって北の曲輪(二の丸)一帯が増築された。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線金谷駅〜バス/中島
 車 : 名高速相良牧之原IC〜国道473号線〜県道73号線
駐車場: 勝間田城の無料駐車場(約5台程度)を利用


ひとくち MEMO
中世山城と武田氏による戦国時代の山城の遺構が良く残っているお城。

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