河内 交野城


お城のデータ
所在地 大阪府交野市私部6丁目
遺 構 曲輪、土塁、堀、井戸
形 式 平城 築城者: 安見清儀 築城年代: 文和元年


見 ど こ ろ
 交野市役所から北に約150m程坂道を登ったところに交野郵便局がある。郵便局の東側一帯が交野城だ。住宅化が急速に進む都市郊外にあった平城の遺構が良く残されている。

 交野城は列郭式の縄張りで、東西に三の曲輪・本丸・二の曲輪が並び、それぞれの曲輪は堀によって隔てられている。この堀は、現在では畑となっているが形状はよく残っていた。郵便局の駐車場南側の竹藪、ここに土塁が残り、また二の曲輪から道路を隔てた南側には堀跡がある。 


歴     史
 交野城は、私部城とも呼ばれ南北朝時代の文和元年頃に南朝方に与していた安見清儀によって築かれた。

 その後安見氏は北朝方に移り、正平年間に畠山義深が河内守護となった時から、代々畠山家の重臣となり、のち遊佐・木沢両氏とならんで河内守護代となったこともあった。

 戦国時代の安見直政は、守護畠山氏に替わって河内守護と称し勢力を誇ったが、三好長慶に攻められ一時大和へ逃れた。

 永禄12年、織田信長は河内統一後、安見直政は所領を回復し私部城に居城した。安見直政が病没後、大和の筒井氏に私部城は攻められ落城。その後、天正3年に織田信長の命により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 京阪電車交野戦交野市駅〜徒歩約10分
 車 : 阪神高速守口線守口IC〜国道1号線〜国道168号線
駐車場: なし(道幅が狭いので路上駐車が難しい)


ひとくち MEMO
駐車場と畑、そして竹藪と化しているが平野部で平城の遺構が良く残るお城。

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