大隅 高山城


お城のデータ
所在地 鹿児島県肝属郡肝付町新富字本城
遺 構 曲輪、空堀、土塁
形 式 山城 築城者: 肝付兼俊 築城年代: 長元9年


見 ど こ ろ
 高山城は、大隅の覇者として勢力を誇った肝付氏宗家が兼俊から16代にの長きにわたって居城とした城だ。

 高山城は、三方を囲まれた丘陵上に築かれ、三段に分かれた本丸を中心に幾つもの曲輪が配置され土塁や枡形などの遺構も残っている。本丸北側の奥郭との間には馬乗り馬場と称する空堀がある。小学校跡から西側(大手側)は一面水田となっているところが三の丸となっていた。 


歴     史
 高山城は、長元9年に肝付兼俊によって築かれた。肝付氏は、安和元年に伴兼行が薩摩国総追捕使となり薩摩に下向、曾孫兼俊が肝付へ移り、以後高山城を本城とし肝付氏を称した。

 島津氏が鎌倉時代に薩摩・大隅へ入国してからも大隅半島に勢力を拡張した。戦国時代、肝付氏は、薩摩北部の菱刈氏、日向真幸院の北原氏と共に島津氏の対抗勢力であった。

 天正元年、島津義久は肝付良兼討伐の軍を発し、翌年良兼は島津氏の軍門に降った。天正8年、肝付氏は高山から薩摩日置阿多へと移封され、鎌倉以来、島津氏に対抗する勢力を誇ってきた肝付氏と高山の関係が終わりを告げた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR指宿枕崎線南鹿児島駅〜南海便船(垂水港)〜バス/役場前
 車 : 東九州道国分IC〜国道220号線〜県道73号線〜県道542号線
駐車場: 高山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
大隅半島を制覇し島津氏と対抗した肝付氏の本城。

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