常陸 木崎城


お城のデータ
所在地 茨城県行方市内宿字御城
遺 構 曲輪、土塁、横堀
形 式 丘城 築城者: 武田通信 築城年代: 天文2年


見 ど こ ろ
( 主郭南側虎口の土塁 )
 ( 主郭南西隅付近の横堀と土塁 )
 木崎城は、武田川が北浦へと注ぐ河口近く、南から武田川に向けて突き出した舌状台地の先端部を利用して築かれている。かつては北浦が城辺りまで入江状となり、武田川対岸には北浦の湊「なるたの津」があった。木崎城は、北浦の津を抑える城でもあった。

 木崎城は、台地先端部に主郭(香取神社の境内)と二の曲輪が東西に並列して置かれ、この両曲輪の南側に広大な三の曲輪があり、台地基部とは深い堀切で遮断線を構築ししている。更にその外側に四と五の曲輪を並列して配置した縄張りとなっている。

 主郭・二の曲輪を囲繞するように横堀が構築され、更に主郭西側は二重の横堀となっている。三の曲輪は畑地と工場敷地、四・五の曲輪は山林・民家敷地となっていて、三の曲輪南側の堀切はフェンスで囲まれて立ち入る事はできなかった。


歴     史
( 二の曲輪西側の土塁と横堀 )
 木崎城は、天文2年に武田通信によって築かれた。応永24年に上杉禅秀の乱で上杉方に与して甲斐守護武田信満が自刃する。信満の弟信久は下総へと逃れ、更に常陸行方郡武井郷へと匿われた。信久を祖とする武田氏は、神明城を築いて代々居城としていたが、8代通信が木崎城を築いて居城を移した。

 9代武田信房は、天正19年に佐竹義宣による南方三十三館の仕置きで常陸太田城で謀殺された。鹿島・行方郡の国人領主を粛正した佐竹氏は、直ちに軍勢を鹿島・行方郡へ派遣して諸城を制圧し、木崎城も佐竹氏によって落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: 鹿島臨海鉄道新鉾田駅〜タクシー約20分
 車 : 東関東道鉾田IC〜県道18号線〜県道2号線〜県道184号線〜国道354号線
駐車場: なし(香取神社鳥居前に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
上杉禅秀の乱に敗れた武田氏一族が本拠として築いたお城。

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