但馬 清富陣屋


お城のデータ
所在地 兵庫県美方郡新温泉町清富字御屋敷
遺 構 曲輪、石垣
形 式 陣屋 築城者: 宮城豊嗣 築城年代: 寛永4年


見 ど こ ろ
( 陣屋の石碑 )
 清富陣屋は、清富集落から相応峯寺への参道脇の公園が陣屋跡で、園内に陣屋の石碑が建てられている。宮城氏は豊嗣一代で断絶した後、清富藩領は収公され陣屋も廃止された為に陣屋の遺構は、陣屋の西面と南面に石垣の一部が僅かに残っていた。むしろ相応峯寺の方が近世城郭を思い浮かべてしまう。

 陣屋は采地陣屋であったため東西約62m×南北約100mの方形居館形式であった。陣屋の背後の観音山には中世山城の相応峯寺城があり、さらに観音山から南麓の田井川・岸田川へ向けて半島状に伸びる丘陵先端部には清富城が築かれている。この両城を詰の城と想定していたとも考えられる。


歴     史
( 陣屋南側の石垣 )
 清富陣屋は、寛永4年に宮城豊嗣によって築かれた。慶長14年に宮城頼久が没して際、嫡男豊嗣が幼少であったため頼久の養父宮城豊盛が後見として実質政務を執った。

 寛永4年、豊嗣は加増されて二方郡全域と多気郡内で13,000石を領して大名に列し、芦屋陣屋から清富に陣屋を移した。しかし、豊嗣は江戸定府で所領の清富には家臣を派遣して統治させた。寛永20年、豊嗣が死去して無継嗣により宮城氏は断絶改易となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線浜坂駅〜徒歩約20分
 車 : 山陰近畿道新温泉浜坂IC〜国道178号線
駐車場: 相応峯寺の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
短い期間であったが藩がおかれた陣屋。

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