武蔵 小机城



お城のデータ
所在地 神奈川県横浜市港北区小机町
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 小机城は、鶴見川南岸に南から舌状に伸びる丘陵先端部を利用して築かれている。現在、市民の森となっている。

 城の縄張りは、丘陵の最高所に土塁で囲まれたほぼ方形の本丸を置き、土橋を経て南北に細長い帯曲輪を挟んで東に二の丸がある。主郭の西側は、第三京浜によって削り取られているため、主郭を囲繞する空堀と外側の土塁などの遺構が消滅してる。

 主郭へ入る南側の虎口から東の帯曲輪までの堀底道、また本丸北側から二の丸西側に至る堀底道、共に深さ約9〜10m程もあり、両側から迫る土塁の迫力に圧倒させらる。


歴     史
 小机城は、築城者は定かではないが室町時代に築かれた。文明8年、長尾景春の乱で長尾景春に与した豊島泰経は、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に武蔵平塚城を攻め落とされた。泰経は小机城へと拠点を移して太田道灌と対峙したが、文明10年についに攻め落とされた。

 永正13年に三浦義同を滅ぼして武蔵へと侵出した小田原北条氏の所領となる。北条氏綱は城を大規模に改修して笠原信為を城代として置き、小机衆として周囲の土豪を組織した。

 その後、北条氏秀が城主となるが元亀元年に上杉謙信の養子となり、上杉景虎を名乗って越後へと移り、北条氏政の弟氏堯が城主となった。天正18年の豊臣秀吉による小田原征伐では、城主氏堯は小田原城へ籠城した。戦後、徳川家康が関東に入ると小机城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR横浜線小机駅〜徒歩約15分
 車 : 第三京浜港北IC〜市道/新矢之根
駐車場: なし


ひとくち MEMO
小高い丘の上には深い空堀が廻らされたお城があった・・・。

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