磐城 駒ヶ嶺城


お城のデータ
所在地 福島県相馬郡新地町駒ヶ嶺
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 山城 築城者: 相馬盛胤 築城年代: 天正年間


見 ど こ ろ
 駒ヶ嶺城は、上の町地区法輪寺の東側にある丘陵一帯に築かれている。現在、丘陵山頂部の本丸は城趾公園となっていて、比較的遺構の見易くなっている。

 城の縄張りは、北から北出丸・三の館・本丸・西館・腰曲輪とほぼ南北に曲輪が並び、本丸・三の館・西館は周囲に空堀が巡らされ、さらに西側には搦め手道を兼ねた空堀がある。本丸東側には二の館があり、東からの大手道を防御している。本丸の南北それぞれに枡形の土塁を伴う虎口と土橋があり、この辺りがこの城の見どころポイントだ。


歴     史
 駒ヶ嶺城は、天正年間に相馬盛胤によって築かれ藤崎摂津が城代となった。天正17年、伊達政宗によって攻められ落城した。政宗は、相馬氏との境目の城として重視し黒木備前を城代とした。

 その後、城代には桜田玄蕃を始め伊達氏重臣が任じられ、江戸中期の享保3年に伊達一族宮内主税が城代となり2,000石を領して明治に至った。幕末の戊辰戦争では、伊達氏の防衛拠点として浜通りを北上する官軍をこの城で迎え撃ったが、官軍の近代火力の前に落城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR常磐線駒ヶ嶺駅〜徒歩約20分
 車 : 常磐道富岡IC〜国道6号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
戦国時代の城が、幕末の動乱の舞台となったが・・・。
  • 道しるべ
    上の町地区から大手通りを北の丘陵へと進むと赤い鳥居がある。ここを左手に行けば法輪寺、右手に行けば大手口。真っ直ぐ進むと空堀道を進む搦め手道だ。城へは右手に行くか、左に行くか、行き着くところは本丸だ。この地点を起点に、大手口〜二の館〜三の館〜本丸〜西館〜搦め手口へと巡回するのがお勧め。(逆廻りでもOK)

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