伊勢 菰野陣屋
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お城のデータ
所在地 三重県三重郡菰野町菰野
遺 構 土塁、堀、移築門
形 式 陣屋 築城者: 土方雄氏 築城年代: 慶長5年


見 ど こ ろ
( 小学校南側にある城石碑 )
 菰野陣屋は、現在の菰野小学校の敷地と東側の住宅地一帯に築かれていた。小学校の南側(近鉄の線路沿い)の道路脇に城石碑と陣屋の縄張図のある案内板が建てられている。

 陣屋の遺構は、小学校の北西の角にL字状の土塁と堀の一部が残っている。この土塁は発掘調査等により高さ約4mあり、堀は深さ約4m(水深約1.5m)ほどあったようだ。また、陣屋の門が金蔵寺と光徳寺の山門として移築され現存している。


歴     史
( 金蔵寺山門 )
( 光徳寺山門 )
 菰野陣屋は、永禄11年に織田信長から北伊勢5郡を与えられた滝川一益が、三重郡内の代官所として築き、家臣南川治郎左衛門を代官とした。

 天正11年、秀吉による北伊勢制圧により滝川一益が改易され、伊勢5郡が北畠信雄に与えられると、菰野には重臣土方雄久が7,000石を領して入った。慶長5年に雄久は能登石崎15,000石を与えられ、雄久の子雄氏に菰野12,000石を与えられた。

 雄氏入封時の菰野陣屋は、滝川氏時代の代官所を補修した質素なものであったが、寛永12年に家督を継いだ2代雄高が陣屋の大補修と増築をし、万治3年に3代雄豊が全面改築を行った。

 以後、土方氏は代々菰野を領して12代雄永の時に明治を迎えるが、明治2年に雄永は、公家竹屋光有の娘を正室に迎える際に陣屋の土塁と堀を築き、陣屋西南部には二重櫓を建てた。


お城へのアクセス
鉄 道: 近鉄湯の山線中菰野駅〜徒歩約10分
 車 : 新名神高速菰野IC〜国道306号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
小学校の正門横に土塁が残っている陣屋。
  • 菰野陣屋の縄張図(現地案内板より)
  • 陣屋門の移築先
    金蔵寺 三重県三重郡菰野町小島
    光徳寺 三重県いなべ市大安町石榑東

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