上野 片岡城


お城のデータ
所在地 群馬県邑楽郡邑楽町中野字蛭沼
遺 構 土塁
形 式 平城 築城者: 片岡国繁 築城年代: 平安時代末期


見 ど こ ろ
 片岡城は、別名蛭沼城とも呼ばれ、蛭沼地区のゲートボール場東側にわずかに土塁が残り、道路に面したところに案内板が建てられている。城の規模はどの程度の広さがあったのかは定かでなく推測の域を出ない。


歴     史
 平安時代の末、板東平氏国繁が入部し片岡氏を称した。二代経繁は平清盛に仕えたが、文治元年平家が滅亡すると、土佐に渡って黒岩城主となり、その後片岡から妻子を呼び寄せた。しかし、長男経俊と二男経政は亡き母の供養のため片岡村に残り、三男経氏と二人の女子が土佐に渡った。経氏は父の家督を継いで土佐片岡氏の二代となった。

 文永2年、新田一族の大島景継が中野に入部して中野城主となったとき、ほとんどの片岡の住民は元宿へ移住させられました。戦国時代以降の片岡氏については明かではない。(現地案内板参照)


お城へのアクセス
鉄 道: 東武鉄道小泉線篠塚駅〜徒歩約10分
 車 : 東北道館林IC〜国道354号線/篠塚〜県道152号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
ゲートボール場の東側には土塁がわずかに残っているお城。

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