下野 倉ヶ崎城


お城のデータ
所在地 栃木県さくら市喜連川字倉ヶ崎
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 塩谷惟広 築城年代: 文治2年


見 ど こ ろ
 倉ヶ崎城は、喜連川城とも呼ばれ、北に内川、南に荒川に挟まれた細長い丘陵先端部を利用して築かれている。城の縄張りは、四本の堀切によって尾根を分断して連郭式に曲輪を配置している。

 現在は、城跡全体がお丸山公園となっていて、市営喜連川城(温泉)の設備と駐車場となっているところが四の曲輪、堀切を渡って児童公園となっているところが三の曲輪、二本の巨大な堀切によって隔離されているのが本丸だ。(ここを二の曲輪とする場合もある)この巨大な堀切が、何と言ってもこの城の見どころポイントだ。また、三の曲輪の虎口には土塁が良く残っていた。


歴     史
 倉ヶ崎城は、文治2年に塩谷惟広によって築かれた。以後、喜連川塩谷氏17代の居城となった。 

 喜連川塩谷氏は、川崎城に本拠を置く宇都宮氏の支族塩谷氏の一族で、長禄2年に塩谷氏惣領家が断絶したが、宇都宮正綱の四男孝綱が塩谷氏の名跡を継いだ。孝綱の跡を嫡男義孝が継ぎ、弟孝信が養子として喜連川塩谷氏を継いで惟久と名乗った。

 天正18年の豊臣秀吉の小田原城攻めに際して、城主塩谷惟久は秀吉の怒りを買い惟久は鷲宿城へ退き、倉ヶ崎城は廃城となった。江戸時代には山麓に関東公方足利の末裔、喜連川氏が喜連川陣屋を構えて5,000石を領して明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線氏家駅〜バス/喜連川温泉
 車 : 東北道矢板IC〜県道74号線
駐車場: お丸山公園の無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
喜連川塩谷氏17代に渡る居城。

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