飛騨 政元城



お城のデータ
所在地 岐阜県飛騨市神岡町西
遺 構 曲輪、堀切、狼煙台
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
( 主 郭 虎 口 )
 政元城は、越中東街道(本道)と数河峠を越える脇街道(現在の国道41号線)が分岐点を抑える役目を負った城だ。数河峠を越えれば江馬氏と勢力を争った姉小路・三木氏の勢力範囲となり、江馬氏の境目の城でもあった。

 政元城は、本街道(現在の県道75号線)西側にある大国寺(政元城の根古屋)の裏山に築かれている。裏山は丘陵尾根の先端部に位置し、その頂上に主郭と二の曲輪を置き、南の尾根に出丸を、東には二段の帯曲輪が配置された縄張りとなっている。主郭と二の曲輪の間、二の丸西側の尾根筋にそれぞれ一条の堀切が設けられていた。


歴     史
( 南 の 出 丸 )
 政元城は、築城年代や築城者については定かではないが、江馬氏の家臣吉村政元が居城し、その子政延と親子二代に渡りこの地を治めていたと云われている。

 天正10年、江馬輝盛が飛騨の覇権を三木自綱と争った八日町の戦いで敗死し、三木方に与した小島時光によって江馬氏の本城高原諏訪城も落城した。この時、境目の城である政元城も本城と共に落城したと伝えられている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR高山本線飛騨古川駅〜バス/流葉口
 車 : 中部縦貫道高山IC〜国道41号線
駐車場: 大国寺の参拝者用無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
越中東街道の本道と数河峠越えの脇街道の分岐点を抑えた境目のお城。

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