下野 益子城


お城のデータ
所在地 栃木県芳賀郡益子町益子字館八幡
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 益子氏 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ
 益子城は、益子市街地南側に広がる丘陵の先端部を利用して築かれている。現在の益子小学校敷地と北東へと伸びる尾根筋一帯が城域で、小学校の北麓には居館部が設けられていた。

 小学校建設で城の部分的に破壊されているが、山林となっている尾根筋には連郭式に5段の曲輪が連なっている。また、居館部は南を除く三方に空堀が囲繞する方形居館で、民家敷地となっていて内部への立ち入りは出来ないが、道路沿いに土塁と堀の遺構を見ることができた。


歴     史
 益子城は、鎌倉時代中期に益子氏によって築かれ、益子古城から居城を移した。益子氏は、南北朝の争乱期から室町時代にかけて紀党武士団の頭領として宇都宮氏家臣団の重鎮として勢力を誇った。

 戦国時代になると益子氏は独立性を高め、主家宇都宮氏との反目が続く。天正14年、益子家宗は下総の結城晴朝と結んで主家宇都宮国綱に叛旗を翻した。ついに天正17年に宇都宮国綱は芳賀高継・多功綱継らと謀って家宗を攻め、家宗を自刃させて益子氏を滅ぼした。


お城へのアクセス
鉄 道: 真岡鉄道益子駅〜徒歩約20分
 車 : 北関東道真岡IC〜国道408号線〜国道121号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
鎌倉から戦国時代まで紀党武士団を率いた益子氏の居城。

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