信濃 松岡城


お城のデータ
所在地 長野県下伊那郡高森町下市田字新井
遺 構 曲輪、空堀、土塁
形 式 平山城 築城者: 松岡氏 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ
 松岡城は、半島状に突き出した河岸段丘の先端部に、5つの曲輪が連郭式に配置された縄張りの城だ。

 五の曲輪には、松岡氏の檀那寺であった松源寺が今もあり、四の曲輪・三の曲輪・二の曲輪は、それぞれ果樹園となっている。一の曲輪と二の曲輪が、城址公園として整備されていて、二の曲輪との間に土塁が残っている。

 曲輪と曲輪の間には薬研堀の空堀で区切られ、土橋によって結ばれている。特に外郭と五の曲輪、三の曲輪と二の曲輪との間の空堀が見応えがある。

 一の曲輪の南側には横堀と土塁が連なり、更に東側の段丘斜面を幾段もの小曲輪を並べ、段丘下からの登城道を防禦しした縄張りとなっていて、主郭部の堅固な遺構は見飽きることがない。


歴     史
 松岡城は、松岡氏によって室町時代に築かれた。松岡氏は、応永7年の大塔合戦に松岡次郎が参戦している。

 天文23年、武田信玄の伊那谷攻略により松岡氏は武田氏に帰属し、伊那衆として山県昌景配下となった。

 天正10年、松岡氏は武田氏滅亡後伊那谷の支配者となった徳川家康に従うが、その後家康より改易を命じられ井伊直政にお預けとなり、松岡城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線下市田駅〜徒歩約20分
 車 : 中央道松川IC〜県道15号線/牛牧〜町道
駐車場: なし。(四の曲輪に駐車スペースあり)


ひとくち MEMO
空堀によって区切られた5つの曲輪が完存してるお城。

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