越前 三国湊城


お城のデータ
所在地 坂井市三国町山王2丁目
遺 構 なし
形 式 丘城 築城者: 畑 時能 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 三国湊城は、九頭竜川・兵庫川・竹田川合流点の右岸に連なる独立丘陵の経ヶ岡に築かれていて、妙海寺境内から墓地となっている脇にあつ観音堂辺りが城跡と推定されている。妙海寺山門の左手に観音堂があり、三国湊城の城跡碑と案内板が立てられているが、城の遺構などは何も残っていない。

 天台宗の千手寺は、中世には十二坊もの堂宇があり宗徒が悪党と組んで暴れまくったと記録にもあるが、この千手寺も今はない。 


歴     史
 三国湊城は、南北朝時代に畑時能によって千手寺の一角に築かれた。時能は、新田義貞四天王に数えられ、義貞戦死後も三国湊城が南朝方の拠点の一つとなっていたが、高須城で北朝方と戦い暦応4年に討死した。

 明応3年、甲斐氏の残党と加賀一向一揆宗徒が越前に侵攻した時、朝倉方は三国湊城に拠って防いでいるが、永正3年のに一向一揆の侵攻で千手寺の寺坊共々灰燼となった。その後、朝倉氏の家臣桜井新左衛門の居城となった。桜井氏は、元亀元年の織田信長による敦賀侵攻時に700騎のを率いて出陣している。


お城へのアクセス
鉄 道: えちぜん鉄道三国芦原線三国駅〜バス/大門
 車 : 北陸道加賀IC〜県道61号線〜国道305号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
三国湊を守るように築かれていたお城。

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