美濃 大森城


お城のデータ
所在地 岐阜県可児市大森
遺 構 曲輪、空堀、堀切、土塁
形 式 山城 築城者: 奥村氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 大森城は、大森地区の大森神社背後の裏山に築かれていた。神社境内に大森城の案内板が建てられている。

 神社境内が大森城の大手に辺り、本殿の右手より山に入ると、ちょうど本殿の真後ろ辺りから空堀が見られる。そこまでの道は有ってなきようなものだが、空堀までたどり着くことが出来るだろう。

 大森城の縄張りを大きく分けると、土塁で囲まれた一の曲輪、堀切を隔てて北に二の曲輪、更に一段下がって三の曲輪(2段に分かれている)が連なった曲輪の配置だ。一の曲輪から二の曲輪の両側には横堀が築かれている。整備状態はともかく、城の遺構が非常に良く残っていて見応えのある城だ。


歴     史
 大森城は、築城年代は定かではないが、永禄・天正年間には土岐氏支流の豪族奥村又八郎元広の居城であった。

 永禄8年、美濃を制した織田信長は、森可成を金山城主に封じて東美濃の旗頭とした際、東美濃の諸将と同様に奥村氏も森氏に従った。

 天正10年、織田信長が本能寺の変にて討たれると、それまで森氏に従っていた東濃諸将はこぞって森氏に反旗を翻した。森長可は、反抗する諸将を各個撃破しこれを鎮圧した。この時、奥村元広も森長可の軍勢によって大森城を攻められ落城した。元広はその後前田利家に仕えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR太多線可児駅、名鉄広見線新可児駅〜バス/大森
 車 : 中央道多治見IC〜国道248号線/田白〜市道
駐車場: 大森神社の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
神社の裏山に曲輪群が完存するお城。

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