美濃 北方城


お城のデータ
所在地 岐阜県本巣郡北方町北方
遺 構 なし
形 式 平城 築城者: 伊賀光就 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 北方城は、どの程度の規模であったのか定かでないようだ。大井神社南側の一角(常誓寺の駐車場東側)に案内板と城跡碑が建てられいるが、この案内板の北方城縄張り図は長方形の居館程度の想像図が描かれている。

 江戸時代には北方城址に旗本戸田氏が陣屋を構えたが、この陣屋の規模と縄張り図とそんなに大差ないように思われる。往時の北方城は、もう少し大きく堀を巡らした曲輪群からなる縄張りであっただろう。


歴     史
 北方城は、築城年代は定かでないが、伊賀太郎左衛門光就が築城した。光就の曾孫安藤守就は西美濃三人衆の一人に数えられ、また竹中半兵衛の舅であったことでも知られている。永禄10年、斎藤龍興を見限り織田信長に仕えた。

 天正8年、嫡男尚就が織田信長より武田氏に内通したとの嫌疑をかけられ所領没収となり、守就も武儀郡谷口村へ蟄居する。天正10年、本能寺の変で信長が斃れると安藤守就・尚就父子と安藤一族が旧領北方城に入り再起を図ったが、稲葉一鉄に攻められ安藤父子は討死して美濃安藤氏は滅亡した。


お城へのアクセス
鉄 道: 樽見鉄道北方真桑駅〜徒歩約15分
 車 : 東海環状道大垣北IC〜国道21号線〜県道23号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
竹中半兵衛の舅安藤守就の居城。

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