武蔵 源範頼館


お城のデータ
所在地 埼玉県比企郡吉見町御所
遺 構 曲輪、堀
形 式 居館 築城者: 源 範頼 築城年代: 平安時代末期


見 ど こ ろ
( 息障院の山門 )
 源範頼館は、「吉見の御所」とも呼ばれている居館で、現在の息障院の境内となっている一帯に築かれていたと伝えられている。寺の境内が東西約130m×南北約100mの方形居館の縄張りその物で、ここに源範頼の居館があり、子孫の吉見氏が代々居城したと云われても違和感はない。

 寺の山門脇には「源範頼館」の城石碑が建てられ、一部用水路となっている部分もあるが境内を囲繞する堀が残っている。土塁は残っていないが、当然かつては館を囲繞して築かれていたのであろう。

歴     史
 源範頼館は、平安時代末期に源範頼によって築かれたと伝えられている。源範頼は、源義朝の六男で遠江蒲御厨に生まれ、平治の乱で父義朝が敗死後は藤原範季に養育された。平家追討軍を弟義経と共に率いて平家を滅ぼしたが、建久4年に兄頼朝より謀反の疑いをかけられ伊豆に流された。

 範頼は伊豆修善寺で没したとされるが、これには諸説伝承がある。その一つに範頼−範円−為頼−義春−義世と五代に渡り吉見の館に居住し、範円以降は吉見氏を称したとされている。


お城へのアクセス
鉄 道: 東武東上線森林公園駅〜バス/吉見中学校前
 車 : 関越道東松山IC〜国道254号線〜国道407号線〜県道271号線
駐車場: 息障院の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
頼朝の弟源蒲冠者範頼が居住したと伝えられる館。

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