播磨 置塩城


お城のデータ
所在地 兵庫県姫路市夢前町宮置
遺 構 曲輪、土塁、石垣
形 式 山城 築城者: 赤松政則 築城年代: 文明元年


見 ど こ ろ
 置塩城は、播磨・備前・美作3ヶ国の守護職、赤松氏の本城である。標高370mの置塩山頂の本丸を中心に、全山60ヶ所以上の曲輪があり、要所には石垣が築かれている。中世山城としては、驚くほどの規模と完成度の高い堅城だ。

 登山口は、櫃蔵神社の脇(道路沿い)に縄張図が描かれた案内板と石碑があるのですぐ分かる。ここから約40分登れば山頂の置塩城趾だ。地元の方によると、西曲輪・大手門へ至る大手道もあるが、危険なため通行不可とのこと。

 茶室跡・二の丸・三の丸一帯が置塩城の中核曲輪である。二の丸が城主の館、三の丸が迎賓館的な館が建てられていたと推定される。また、二の丸下の南西曲輪群に「大石垣」が残っている。一見の価があり。

 本丸が詰の曲輪であったと考えられている。この本丸からの眺めは最高。瀬戸内海に浮かぶ家島、その手前の姫路城まで見ることが出来る。  


歴     史
 嘉吉元年に赤松通祐が将軍足利義教を自邸で暗殺(嘉吉の乱)し、但馬から侵攻した山名持豊に攻められ自刃して赤松宗家は滅亡するが、長禄元年に後南朝を討った長禄の変による戦功で幕府より赤松政則が家督相続を許された。

 応仁の乱の時、赤松政則は東軍に与して山名持豊が守護となり領有した播磨に攻め入り播磨の回復に努めた。当初姫路城を居城としたが、文明元年に政則は置塩城を築き戦国大名赤松氏の本城とした。政則は、その後備前・美作の旧領を回復する。

 赤松氏は、政則−義村−晴政−義祐−則房と続く。天正5年に5代則房は、羽柴秀吉の中国攻めで降伏し秀吉に従い、後に阿波住吉で1万石を与えられた。

 秀吉は、中国攻めの拠点として姫路城を大修築するが、この時置塩城は廃城となり、建物や城下町を姫路に移している。姫路城「と」の門が置塩城大手門を移築したものと云われてる。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線姫路駅〜神姫バス/「塩田・前之庄」行、宮置下車
 車 : 中国道福崎IC〜県道23号線/前之庄〜県道67号線/宮置
駐車場: 登城口側の櫃蔵神社の参拝者用無料駐車場を利用


ひとくち MEMO
登城口から一丁毎に石碑が登城道に建てられているお城。

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