豊後 大友氏館



お城のデータ
所在地 大分県大分市顕徳町3丁目
遺 構 曲輪、庭園(復元)
形 式 居館 築城者: 大友氏泰 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
( 復元された庭園 西池 )
 大友氏館は、大友氏泰が古国府から移したのは上原館とされていたが、顕徳町で大分駅南地区の区画整備事業に伴う発掘調査で大規模な庭園跡を含む居館跡が発見され、ここが大友氏の居館(府内の館)であることが判明した。

 大友氏館は、大友川左岸の自然堤防上に築かれて、館を中心に府内の城下町が形成されていた。館の規模は、二町(約200m)四方の方形居館で東に向けて大門と小門の二つの門が開かれていた。現在も発掘調査が進められ居館跡の整備事業が行われ、発見された庭園が復元整備されている。


歴     史
( 発掘調査が続く館跡 )
 大友氏館は、南北朝時代に7代大友氏泰によって築かれたと云われている。氏泰は、足利尊氏の再挙に尽力した功績により室町幕府開幕後に豊後・豊前・肥前・日向の守護に任じられた。

 室町・戦国時代を通して豊後府内を拠点に勢力を維持し戦国大名へと脱皮を果たし、21代義鎮の時に最盛期を迎えた。天正4年に耳川の合戦で島津氏に大敗して以降大友氏の勢力は衰退し、天正14年に島津氏の豊後侵攻により府内館は焼き討ちに遭い壊滅した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線大分駅〜徒歩約15分
 車 : 東九州道大分IC〜県道21号線〜国道10号線
駐車場: 南蛮BANGO交流館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
豊後をはじめ北九州の守護所となった大友氏の居館。

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