紀伊 雑賀城


お城のデータ
所在地 和歌山県和歌山市和歌浦中3丁目
遺 構 なし
形 式 山城 築城者: 鈴木佐大夫 築城年代: 戦国時代


見 ど こ ろ
 雑賀城は、妙見山城とも云われ、徳川頼宣の母養珠院の位牌を安置するために建立した養珠寺の背後にある丘に築かれている。

 丘の南先端部にある妙見堂から寺の背後の千畳敷と呼ばれる平坦地までが城域だが、城の遺構らしきものは、あまり見当たらず、千畳敷の角に物見台があったかもしれない盛土が見られるくらいか。土塁や堀切など城に頼って戦いよりも奇襲攻撃を得意とした雑賀党の城ならば、防御設備が残っていないのも当たり前か?


歴     史
 雑賀城は、戦国時代に鈴木佐大夫重意によって築かれた。佐大夫は、雑賀孫一(鈴木重秀)の父で、佐大夫もまた雑賀党の頭目を務め、本願寺顕如に与して石山合戦では信長と戦った。

 天正5年、織田信長の紀州征伐(雑賀合戦)では、雑賀党は弥勒寺山城を中心に信長の大軍と対峙した。この時、佐大夫の雑賀城もその要であった。天正12年、秀吉による紀州征伐では、雑賀党内部抗争などで信長の時のような雑賀党の纏まりもなく佐大夫は秀吉に降伏したが、雑賀党を危険視した秀吉は、藤堂高虎に命じて佐大夫を粉河にて謀殺した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR阪和線和歌山駅〜バス/和歌浦口
 車 : 阪和道和歌山IC〜国道24号線〜国道42号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
雑賀孫市の父佐大夫の居城。

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