肥後 佐敷城


お城のデータ
所在地 熊本県葦北郡芦北町佐敷字下町
遺 構 曲輪、石垣、堀切
形 式 山城 築城者: 佐敷氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
 JR佐敷駅東側にある山を見上げると、山頂部に石垣が累々と築かれているのが見える。これが佐敷城だ。城跡へは、城山の東側(駅から見ると山の裏側)佐敷中学校側から山頂まで登山道があり、城跡まで車で登ることが出来る。

 山頂部は、綺麗に木々が切り払われ、石垣群が見事に復元されていた。復元された石垣の下部には、築城当時の石垣が積まれている。この真新しい石垣が、破却された石垣にはあまり似合わないが、一国 一城令によって破却された状態に復元されていて、城の破却とはこういうものかとよく分かった。

 城の縄張りは、本丸から南に向かって二の丸・三の丸と配置され、北と東にはそれぞれ出丸がある。東出丸から二の丸への枡形虎口は見応えがある。本丸からは、360度のパノラマが開けて絶景。


歴     史
 佐敷城は、佐敷氏によって南北朝時代の後半に築城された。その後、人吉城の相良氏による芦北郡への勢力拡大があり、永禄2年には肥後守護菊池為邦により相良氏による芦北郡の領有が認められた。

 天正9年、島津義久は水俣城を攻略し、芦北郡を相良氏から奪い、宮原景種を佐敷城主とした。

 天正17年、佐敷城は熊本城主加藤清正の領地となり、佐敷城には加藤重次が城代となった。文禄元年に梅北国兼が佐敷城を占拠した「梅北の乱」が起こったが、留守居役達の働きにより鎮圧された。

 佐敷城は、その後も加藤重次が城代を続けたが、元和元年の一国一城令により廃城となった。その後、細川時代には、佐敷は藩内の要地として佐敷御番所が置かれた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線佐敷駅〜徒歩約20分(登城口) or タクシー
 車 : 八代日奈久道八代南IC〜国道3号線
駐車場: 佐敷城の無料駐車(20台程度)を利用。


ひとくち MEMO
山頂には破却された石垣が累々と残るお城。

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