摂津 山田城


お城のデータ
所在地 大阪府豊能郡能勢町山田
遺 構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 山田忠国 築城年代: 治安2年


見 ど こ ろ
 山田城は、山田川と長谷川に挟まれた半島状丘陵の先端部が二股に分かれた北側の尾根筋先端部を利用して築かれた城だ。山田川を挟んで森上城・今西城と対峙している城で、周囲の栗栖城・片山城・山上城とも連携して丹波街道を押さえる役目を担っていたと考えられる。

 城の縄張りは、丘陵先端部の西側を堀切で断って城域を定め、東に向かって二の丸・本丸と配置し、本丸と二の丸の間にも堀切を設けている。本丸の周囲には土塁が完存していて、特に西側の堀切に面した土塁は高さもあり見応えがある。また、本丸東側の下は帯曲輪が設けられ、帯曲輪と本丸とは落差もある堅固な構えとなっていた。 


歴     史
 山田城は、治安2年に山田忠国によって築かれた。忠国は多田(源)満政の五男で、多田社記によれば北の丸に兄忠重も在住していたとか。

 以後、山田城は山田氏代々の居城となったが、戦国時代の天正年間、山田景明の時落城した。一説によれば、三田景明の居城で文明9年に落城との説もある。


お城へのアクセス
鉄 道: 能勢電鉄妙見線山下駅〜バス/森上
 車 : 阪神高速池田木部IC〜国道173号線/栗栖〜県道603号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
周囲を分厚い土塁が取り囲んだお城。
  • 山田城の登城口
    垂水地区の新宮神社から大日堂へ町道を進み、その先の農道を道なりに登ると二つの池がある。この二つめの池を過ぎた辺りから右手の山へ。果樹園を回り込むように山道がある。これを登れば山田城のある丘陵西側のピークに至る。西のピークからは尾根を東に進むと山田城西側の堀切へ。尾根筋、雑木があるが平坦で比較的歩きやすい。

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