上総 椎津城


お城のデータ
所在地 千葉県市原市椎津字外郭
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 丘城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 椎津城は、姉崎海岸に向けて突き出した台地の先端部分を利用して築かれている。台地上は畑地と住宅地となっていて、城の遺構などは消滅している。

 主郭と二の曲輪の間にある空堀は現在宅地となっているが、その民家の脇から山道を登ると椎津城の案内板があり、その背後の竹藪と雑木林の中に辛うじて主郭部の土塁や虎口、腰曲輪の遺構が残っている。また、谷を隔てた東側の丘には椎津城の出城である正防山城がある。


歴     史
 椎津城は、応永年間に三浦貞勝によって築かれたとする説と明応年間に真里谷武田氏によって築かれたとする説があるが、築城年代や築城者については定かでない。

 天文年間には真里谷武田信隆・信政父子が椎津城に入るが、天正21年に里見義堯・義弘父子が椎津城を攻め取る。その後は里見氏と北条氏による椎津城の争奪戦が繰り返され、天正18年に北条氏滅亡後に関東移封された徳川家康によって椎津城は攻め落とされた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR内房線姉ヶ崎駅〜バス/椎津宮下
 車 : 館山道市原IC〜国道297号線〜県道24号線〜県道257号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
上総武田氏の最後の拠点となったお城。

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