越後 椎谷陣屋


お城のデータ
所在地 新潟県柏崎市椎谷
遺 構 曲輪、土塁
形 式 陣屋 築城者: 堀 直央 築城年代: 正徳5年


見 ど こ ろ
 椎谷陣屋は、北国街道(現在の国道352号線)に面した小高い丘の上に築かれ、北国街道からの進入路が南に大手門、北に裏門があった。

 陣屋の縄張りは、ほぼ正方形の陣屋主郭部には、虎口が南(表門)・北(裏門)は開かれ、藩主御殿・馬場・砲術稽古場が設けられて、日本海側に「L字」状に海側に土塁が構築されている。更に、主郭部の北側と南側に藩としての武器蔵・籾蔵・役所などの建物・武家屋敷・長屋が建てられ、二の丸・三の丸の様に配置されていた。 


歴     史
 椎谷陣屋は、正徳5年に堀直央によって築かれた。椎谷堀氏は、堀秀政の重臣であった堀直政の子直之の家系で、寛永19年に堀直景が父直之の遺領と直景の所領の内500石と合わせて1万石となり大名に列して上総苅谷に陣屋を構えた。 

 元禄11年、3代直宥は上総の所領を越後へ移され、4代直央が打越の地に陣屋を構えた。寛政4年、天明義民事件の結果、11代堀直起擁立の際に領地5,000石の半知替え処分を受け、信濃高井郡に采地陣屋(六川陣屋)を設けている。15代之実の時に明治を迎えるが、明治元年の戊辰戦争で椎谷は北越戦争の舞台となり陣屋は焼失してしまった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR信越本線柏崎駅〜バス/椎谷
 車 : 北陸道西山IC〜県道23号線〜国道352号線
駐車場: なし


ひとくち MEMO
戊辰戦争ですべて焼失してしまった陣屋。

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