紀伊 霜山城


お城のデータ
所在地 和歌山県橋本市隅田町中島
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 丘城 築城者: 野口氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
 霜山城は、隅田八幡神社西側にある野口池の脇の竹藪と雑木に覆われた丘が城跡だ。(城の場所が分からなければ、隅田八幡の社務所にて尋ねねば教えてもらえる)

 霜山城は、竹藪の中に昔のままの姿を今に残している。ともかく、城跡の整備はほとんどなされていないが、これほどまでに遺構が残されているのには驚き、そして感動さえ覚え、夢中になって空堀の中を歩き回り、土塁をよじ登ってしまった。和歌山県内でも有数の保存状態の良い城ではなかろうか。

 城の縄張りは、方形の二つの曲輪からなり、それぞれの曲輪の内側に土塁を築き、周囲には空堀をめぐらし、一の曲輪と二の曲輪の間には土橋がある。更に、北側には高さ5mはあろうか大土塁を築き、その外側には外堀が掘られ、その両端には土橋が残っている。


歴     史
 霜山城の築城年代は定かではないが、室町時代に隅田党の野口氏によって築かれたと云われ、今も地元では「野口城」と呼んでいる。

 霜山城は、岩倉城と共に隅田党の城であったが、資料に拠ると「永禄元年に遊佐直基が畠山昭高を霜山城に迎えた。」とあり、戦国時代には紀伊守護畠山氏の持ち城となっていて、隅田荘も畠山氏の支配下にあったことがわかる。しかし、この城が戦乱の巻き込まれたのか、いつ廃城になったのかなど、詳しい歴史が分からなかった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR和歌山線隅田駅、南海高野線橋本駅〜バス/高橋
 車 : 京奈和道橋本東IC〜国道24号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
竹藪の中には空堀と分厚い土塁が完存しているお城。

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